いつか、ひとり
     市原悦子
    

幸せなホームドラマは演じたくない(50代からの生き方・暮らし方応援雑誌いきいき)より

 
 私はからだが動く限り仕事を続けたいと思っています、引退したら嫌な女になるでしょうね(笑)
からだを動かさず何もしないでいたら自然と不満というものは出てくると思うんです文句を言うだけ
言って自分を何もしない、そんな状況の中で、穏やかに静かに暮らしていくことは私にはできない、
少しでも世の中と関わって、お友だちと一緒に何かをしていれば、そういった不満は解消されるでし
ょうし、少しでも自分が表現できる場所、社会とのつながりをもつことができれば幸せですねドラマ
でも舞台でも選り好みしているわけではありませんが幸せな役には興味をもちません、そんなに幸せ
なことってまわりにあるとは思えないんです。

 それに幸せならばそれはそれで結構なことでお金をかけてわざわざドラマにする必要はない。もっ
とやるべきドラマがたくさんあると思うのです私が長年演じている「家政婦は見た!」シリーズは、
そういった意味で、社会の理不尽な部分を描く作品だと思います、つましい生活をしている家政婦が
お金持ちの家で働いて自分たちと彼らの落差に愕然としながらも社会の不透明な闇に部分に立ち向か
っていく姿は、まさに庶民の闘い。 見ていても演じていても心地いいものがありますが、悪の描き
かたがまだ生ぬるい(笑)
実際はもっともっと悪いと思うんですよ、あそこに出てくるような人たちの正体は(笑)もっと突っ
込んで、許せないという憤りを表現できるといいなと思いながら出演しています。

 若い頃は稽古、東京公演、地方公演の繰り返しで、寝ても覚めても舞台のことばかり。 それでも
全然平気でしたが、いまはゆっくり、じっくり、慌てず、騒がず。 そして深く表現したい
でも、若い人には徹夜しなさいと言います、思いっきり自分の限界に挑みなさいってね  とことん
他人とも言い合って、清水の舞台から飛び降りる体験もしたらいいと思います。



充実していた50代、疲れが出てきた60代、そして70代は

私は今年68歳になるのですが、年齢とともに体力というものがなくなっていくのだなと、このごろ
強く実感するようになりました。70代の先輩がよく「60代は大丈夫よ、なんとかだましながらで
きるけど、70代にになったら音をたてて駄目になっていくわよ」と言っていましたが(笑)ほんと
うにそのようです。気がつけば私ももうすぐ70代にはいるのですものね。 私の50代はとにかく
無我夢中でした食べるだけ食べて動けるだけ動く。肉体の限界はまだ感じない。いま思うと、大輪の
花を咲かせていた時期だったように思います。
 
 それが60代に入ると飲むのは控えようと、食事も腹八分目にしなくてはと、いろいろなことに注
意を払う無味乾燥な状態になってきました(笑)そうやって調節をしていかないと、からだがもたな
いし次の日に立ち上がれないのです。朝は5時でも6時でも撮影で慣れてしまったから起きることは
できますが、夜は8時を過ぎると疲れてくる。それが60代前半。 仕事も夕方の5時、8時に終え
たいとスタッフにお願いして、なんとかもっているのが今です。
 こうなってくると、先輩が言っていたとおりだなと少しずつ覚悟して、どんなことになるのか一つ
ひとつ乗り越えていこうと殊勝な気持ちになります。
 しかし、体力は年々衰えるけれど、ああしよう、こうしようと、気持ちはますます意欲的になって
きたきたように思います。  もっとこうしたらいいとわかるようになりますから、ますます妥協が
できなくなりました。 まわりのことも若い頃に比べてよく見えてくるから、 他人のことも気になり
ます。 ドラマや舞台などで共演する若い人には、気がついたことの6割くらいは伝えるようにして
います。わかってくれる人はそれを機に親しくなることもありますし、そうでない人もいます。
 でも、言うべきことを言わないと、生きてる甲斐がありませんもの。




"頑張れ"と応援するのでなく、共に生きる、そのことが大事。


 
夫を見る目も、少しずつ変わってきたように思えます 夫は俳優座養成所の同期生で、舞台監督を
めざしていたころからの つきあいです。   私が夢中で次から次へと舞台に立っていたときに彼は
朝から晩まで師匠である千田是也先生の下でどぶねずみのように働いていました。彼はお裁縫をのぞ
いて料理も大工仕事も絵もファッションもみんな私より上手です。今は病気したこともあってゴミも
捨てられなくなった。
あ、こんなことを言っちゃいけない私より捨ててくれる回数は多いんです。
でも、夫だけでなく男の人というものは、デリケートだしロマンチストだと思います。それが優しさ
にもなるし、脆さにもなる。だから土足で入り込んではいけないなと、年を追うごとに考えるように
なりました。 若いときはなんでも平等でともに希望に胸を膨らませ....なんて言ってたけど違うん
ですね、 違う夢をもち、違う考えをもち、違う情感でいることがだんだんとわかってくるんです。

 女の人の方が現実的だし図々しい....(笑)だからしっかりやりましょうね!なんて押しつけたり
することはどうでしょうか善意の押し売りのような気がしてなりません。
自分が弱ってるときに元気な人に"頑張れ" と言われたら逃げ出したくなるでしょう?私が頑張れと
いうより、共にいることが大切だと思います、
 
 あるドラマで「俺はどうしたらいいんだ」という老人の問いに「いまのままでいいのよ」とこたえ
るシーンがあるのですが、年をとれば誰もが「これから先どうしたらいいんだろう」と不安になるも
のです。 その時に頑張れといわれても頑張れない。 「いまのままでいい」と言われたら、落ち着
いて考えることができますもの。  遅まきながらようやく立ち止まって考えたり、相手を許したり
やさしく側に寄り添うことの大切さがわかるようになってきました。夫婦喧嘩して嫌な思いをしても
ふたりで積み重ねてきた長い長い歴史があります、どんなに頭にきても、"あのときは助けられたな"
と思えば優しい気持ちになれます。



幸せなところで生きることは、怖いことだとだと思います

 
これまで47年間女優を続けてきましたが、無事にここまでこれたことをほんとうにありがたいと
思います。戦争や災害など何が起きてもおかしくないいまの世の中で、車の事故に遭うこともなく、
好きなことをずっと続けてこられたことに感謝するとともに、なんだかこんなに恵まれて申し訳ない
という気持ちがあります
 この気持ちは、やはり私が戦争を体験していることと関係しているのかもしれません。 戦時中は
母の田舎だった千葉・四街道に疎開していました。  子守をさせられたり、花壇を壊して畑にして
野菜を植えたり、肥やしをいじったり。 友だちとわいわいするのが好きだったから、学校に行けず
友だちと会えず、家庭の一員となって生活を支えていくことが9歳の私には辛いことでした。
 ただ、まわりの農家の方々に助けられ、比較的恵まれた疎開生活ではありました。しかし戦争中の
ことです。 多くの人が亡くなり空襲で瓦礫の山となった街の風景は、目に焼きついて離れることは
ありません。 いま、戦時下のイラクで少年少女が一家を支えるために物を売っている姿がテレビに
映ると、戦時下の自分の姿と重なり、とても苦しくなります。こんな仕事をしていていいのだろうか
幸せなホームドラマなんかに出ていていいのだろうかと、自分のやっている意味を見失ってしまうよ
うな感覚に襲われるのです。
 
 だからこそ、戦争の話を演じるときには、あのころに感じた思いを、セリフに託そうという思いが
膨らみます。その思いは女優になって47年、一度も忘れたことはありません。
 いまのこの平和な世の中で、少年や少女たちが殺し合う事件にはただ驚愕するばかり。苦労や悲し
みを知らないと、こういうことになるのでしょうか。幸せな世界で生きていくということは怖ろしい
ことなのではないか。最近ふと、そんなことを考えるようになってしまいました。

    50代からの生き方・暮らし方応援雑誌 「いきいき」 2004年8月号掲載になりました       


http://mamarin.net